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旧ユーゴスラビアの旅のまとめと感じたことなど

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この記事では旧ユーゴスラビアを訪れて感じたことを書いていこうと思います。

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旧ユーゴスラビアについて

旧ユーゴスラビアとは、もともとユーゴスラビアのあった地域のことを指します。

ユーゴスラビア - Wikipedia

ユーゴスラビアとは、2000年代初頭までヨーロッパのバルカン半島に存在していた国(広義的には国家枠組み)のこと。ユーゴスラビアとは南スラブ人の土地を意味し、その名のとおり南スラブ人によって作られました。

ユーゴスラビアは1900年代初頭から名前を変えながらも存続してきましたが、次第に分離独立が進み、最終的にはセルビア、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボ、マケドニアの7カ国となりました。

国の独立分離が進み、ユーゴスラビアが解体していく過程ではさまざまな紛争・内戦が勃発しました。ですので、旧ユーゴスラビアと聞けば、紛争や内戦といった言葉を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

訪れた国についてそれぞれの印象

旧ユーゴスラビアで訪れたのは、セルビアを除き以下の6ヶ国。

  • スロベニア
  • クロアチア
  • ボスニアヘルツェゴビナ
  • モンテネグロ
  • コソボ
  • マケドニア

それぞれ訪れてみて感じたことをまとめます。

スロベニア

リュブリャナのプレシェーレン広場

スロベニアでは首都のリュブリャナを訪れました。首都ではありますが、非常にこじんまりとしていて落ち着いた雰囲気でした。物価的にはまだイタリアの真隣なのでそこそこ高めです。

 

リュブリャナにはペイントアートが多く、列車すら完全に装飾されていたのには驚きました。

 

ブレッド湖の聖母被昇天教会

また、滞在には湖に浮かぶ教会で有名なブレッド湖へ足を伸ばしたりもしました。後ろにはアルプスの山々が連なっていて非常に美しかったです。

クロアチア

ザグレブの旧市街

クロアチアでは首都ザグレブ、プリトヴィツェ、ドブロブニクを訪れました。ザグレブは旧市街が絵になるような町並みで、散策していてとても楽しめました。

 

世界遺産のプトヴィツェはあいにくの雨。晴れていれば本来は森とエメラルドグリーンの湖の共演を楽しめるところでしたが残念でした。

 

同じく世界遺産の街ドブロブニクもあいにくの雨。アドリア海の真珠もこのときは輝きを潜めているようでした。ただ、旧市街は非常に雰囲気が出ていました。

ボスニアヘルツェゴビナ

サラエボの町並み

ボスニアでは首都のサラエボとモスタルを訪れました。サエラボといえば第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件が起きた場所ですね。

 

サラエボに来ると、これまで見てきたヨーロッパの街に比べてイスラム色が強くなったのが印象的でした。と、こんな風に思うもそのはずで、実はボスニアの人口の多くを占めるボスニャク人は、イスラム教を信仰するムスリムなんです。

西の文化の影響が弱くなり、東に近づいてきていることを感じました。

個人的にサラエボは旧ユーゴ、いやヨーロッパの中でもとりわけ来てみたかった場所で、書きたいことが山程あるのですが長くなるのでまた別の機会にします。

 

モスタルの町並み

モスタルはオスマン朝時代の街で、ランプの灯り、石畳の道、とまるで映画に出てきそうな雰囲気がありました。いや本物なんですけどね。

モンテネグロ

モンテネグロでは、首都のポドゴリツァとコトルを訪れました。

首都のポドゴリツァはあまり見所がないなというのが正直なところです。たとえていうなら日本の地方都市のような感じで、郊外には新しいマンションがどんどん建設されていました。

 

ショッピングモールもあってなおさら日本の地方都市に来ているみたいでした。もはや、イオンに来ているのとなんら変わりませんね。

コソボ

コソボの首都プリシュティナの町並み

コソボは首都のプリシュティナを訪れました。

アメリカがコソボの独立を支援していたこともあってか、通りにビル・クリントンの名前がつけられていたりと関係の深さが窺えました。

 

プリシュティナ大学にも行ってみたのですが、コソボに関する歴史の展示室があって勉強になりました。

マケドニア

マケドニアの首都スコピエ

マケドニアでは首都のスコピエへ。

とにかくいたるところに銅像が立っているのが印象的な街で、こうして古代マケドニア王国を再現し、国の威信を表現しているのかなと思いました。中央広場にはアレクサンドロス大王。

感じたことなど

紛争・民族問題について

人種、民族、またそれにかかわる歴史、戦争などについて考えられずにはいられないのがここ旧ユーゴスラビアでしょう。

詳しいことについてはこの記事ではあまり述べませんでしたが、これらの問題について少しでも勉強しておくかおかないかで、旅行していても受け取るものがかわってくると思います。

もし、センシティブな話題について人と話すときはよく考えたほうがいいでしょう。自分自身、現地の人にそうした話題を率直に聞き過ぎたところがあって、あとで配慮が足りなかったなあと後悔しました。

旧ユーゴには紛争や民族問題について教えてくれる場所(歴史資料館みたいなとこ)が街中にちゃんとあったりするので、詳しいことを聞きたいときはまずそうしたとこに行ってみるのがいいのかなと思います。

また、国によって問題に対する立場・捉え方が違ってくるので、それぞれ比較してみるのも理解につながると思います。

現地の人について

旧ユーゴスラビアの旅では、現地の人と触れ合う機会もかなりありました。みな基本的に親切で道がわからなくて困っていたりすると助けてくれます。こちらでは日本人はまだ珍しいのか一緒に写真をとってと声をかけられることもありますね。

言語に関しては、英語を使えればコミュニケーションにはそれほど困らないでしょう。英語をしゃべれる人は多いです。

それぞれの国での挨拶を覚えておくと現地の人との距離は縮まりやすいと思いますが、旧ユーゴ圏の言葉は似ているので覚えやすいと思います。

発展の可能性

旧ユーゴスラビアを旅してみて個人的に一番強く感じたことは、この地域、国が発展していく姿でした。街を歩くと建設が進められていますし、大学にいけば学生が必死に学んでいました。人や街全体に、ここから自分たちは先に進んでいくんだという勢い、エネルギーみたいなものを感じました。

もちろん旧ユーゴの抱える問題はそう簡単に何とかできるほど生易しいものじゃないでしょう。それでも、新たに発展した姿を期待せずにはいられないのでした。

 

以上、旧ユーゴスラビアを訪れてみて感じたことを簡単にまとめてみました。今回旧ユーゴではセルビアだけ行くことができなのでまた今度このあたりに来たら、訪れてみたいなと思います。