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中央アジア旅の最後で急性胃腸炎の悲劇

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ウズベキスタン、そして中央アジアの旅もいよいよ大詰めとなりました。今回はそんな中央アジアの旅のクライマックスにとんでもない悲劇にあってしまったお話です。

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サマルカンドからタシュケントへ

サマルカンドからタシュケントへ向かうバスの中は意外とガラガラでした。

バスは中国製?で、かなり乗り心地がよかったです。日本で走っているような高速バスと何ら変わりなく、しかもトイレ付でした。

ここ中央アジアに来て初めてまともなバスに乗った気がします・・・

 

ところで、なぜサマルカンドからタシュケントへ向かうのかというと、キルギスへ向かうためです。実はウズベキスタンに来る前、すでに中央アジアの次の目的地であるヨーロッパへ行く航空券を購入しており、その出発地がそうキルギスなのです(キルギス発の格安航空券があった)。

つまり、ここウズベキスタンから飛行機に乗るためにもう1度、いやカザフスタンを通るので、さらにもう2度国境越えをしてキルギスへ戻る必要があったのです。

ウズベキスタンの旅が駆け足だったのも、すべては飛行機の出発日が迫っていたからで、できればもう少し滞在したい国でした。

というわけで、まずは国境最寄りのタシュケントへ一度戻ります。

タシュケントに着いたあとは、また最初タシュケントに来た時と同じ宿に泊まりました。

夕食にサマルカンドで同じ宿だった旅人にもらったカップ麺を食べました。

久々の日本食?でうまかったです。

明日のカザフスタン、キルギスへの国境越えに向けてこの日は早めに就寝するのでした。

・・・そして、このあと悲劇は起こるのでした。

国境越えができないかもしれない緊急事態

朝4時くらいに強烈な吐き気とともに目が覚めました。

急激な腹痛と吐き気

そして有無を言わさずトイレに吐きに。

しかし、何度吐いても、何度吐いても吐き気が収まらず、胃に強烈な痛みが続いたままです。

もう胃の中のものは吐ききってしまい、出てくるのは胃酸だけという感じでした。

まさに、死にそうでした。

今度は立つことすらままならなくなり、そのままトイレにぶったおれてしまいました。しばらくトイレで寝転がっていました。

国境越えをあきらめかける

本当はこの時点で救急車を呼んでもらったほうがよかったと思います。

それでも吐き気が少しだけ収まったので、とりあえずベッドになんとか戻りました。

しかし、胃の痛みが強烈で、もうベッドから動ける気がしませんでした。

「ああ、このままではキルギスへ戻って飛行機に乗ることができないかもしれない・・・」

本当にそう思いました。

イギリス女性に助けられなんとか出国

そんな明らかに様子がおかしいに、同じ部屋に泊まっていたイギリス人の女性が気付きました。

彼女は私のことを心配してくれ、彼女の持っていた栄養剤と薬を私に飲ませてくれました。おかげで本当に何とかギリギリでベッドから立ち上がることができるようになりました。

そして、私は国境越えをすることを決め、よろけながらも宿を出発しました。

再び眠りについた彼女のところに感謝の手紙を残して。

バスのチケットが売り切れ再びピンチ

その後、地下鉄、バス、マルシュルートカ、乗り合いタクシーを乗り継ぎ、押し寄せる越境者にも負けず、何とかウズベキスタンからカザフスタンに国境越えを果たしました。

そして、カザフスタンのバスターミナルで、キルギスへのバスチケットを買おうとしました。

「チケットは売り切れよ」

終わった・・・・。

せっかく痛みに耐えながら、国境越えをしてきたのに・・・

ここでバスに乗れなかったら、飛行機に間に合わない・・・

なんとか懇願するも、やはりダメだそうで、最後の賭けとしてキャンセルで空の席が出ないかしばらく待ちました。

キャンセルが出て何とかキルギスへ

そして、ついに

「バスの空きが出たわよー!」

良かった!本当によかった!

ここまで来たかいがありました。報われました。

強烈な吐き気と腹痛、チケットが売り切れるという大ピンチを乗り越えていよいよキルギスに戻ることができることになり、やっと少し安心できたのでした。

あの体の異変の原因

ちなみに、ウズベキスタン滞在最後の深夜に私の体に起きた異変はその症状から急性胃腸炎だと思われました。原因は何かというと、夕食に食べたカップ麺です。

正確に言うとカップ麺に注いだお湯に原因があったと思われます。カップ麺に注ぐお湯に市販のミネラルウォーターの水を使わず、宿の人にもらった水道水のお湯を私は使ってしまいました。

おそらくその水が当たったんだと思います。ちゃんと沸かしたか確認するべきでしたし、そもそもやはり最初からペットボトルの水を使って自分で沸かすべきでした。

ま、でもいい勉強になりました。きっとこれからの旅先ではもうそんなへまはこれでしなくなるでしょう。

波乱万丈の中央アジアのクライマックスでしたが、出発の飛行機に無事乗ることができました。